コラム「なぜコミュニティなのか?」

私は2001年に26歳で会社を辞め、今の活動・事業に身を投じた。
「今の日本社会に“あたたかいコミュニティ”(居場所・仲間・愛着)を
たくさんつくりたい」という一心だった。

私はドキュメンタリー映画を撮る映画監督の父と、それに負けずおとらない
社会派の母のもとに生まれ、小さい頃から様々な社会問題に触れる機会が
多かった。

小さい頃から漠然と、
「なぜ人は戦争するのだろう」
「なぜいじめや差別が起こるのだろう」
「一人ひとりはいい人のはずなのになぜみんなが幸せにならないのだろう」
というようなことを悶々と感じていた。

そしていつのまにか、「幸せな社会とは何か。どうつくれば良いか。」と
いうことを漠然とながら考え始めていた。

「コミュニティ」という発想/ソリューションとの出逢いは大学時代だった。

ボランティアサークル「AMIS」というサークルに所属し、仲間たちと
障碍者福祉の活動に関わり、養護学校の子どもたちに勉強を教えに行ったり、
地域で自立生活(自分で家を借りて介助者をマネジメントして生活する)する
障がいを持った方々の介助に4年間どっぷり関わった。

とても楽しかった。
サークルの仲間たちと毎日のように語り合い、まるで家族のように一緒に過ごし、
自分には圧倒的な居場所があった。
自分の魅力や機能をがんばって見せつけなくても、そのままの自分を受け入れて
くれるあたたかさがあった。
自分が受け入れてもらえたから、まわりのことも受け入れ合う「迎え入れの循環・
ペイフォワード」のようなものがあったように思う。
この場所が好きだから、良いサークルにしたいとみんなが自然と何かに貢献して
いて、誰かだけががんばるでもなく、みんなの力でコミュニティは成り立っていた。
みんなサークルをつくる主体であると共に、サークルを楽しみ時にコミュニティや
みんなによって救われるお客さんでもあった。

夢中になれる「活動」があって、自分のことを認めてくれる「居場所」があり、
一緒に過ごす気の合う「仲間」がいる。
こんな幸せなことはなかった。

どこのタイミングでだろう、私の中にはメラメラとこれからの日本社会を良くする
方法がおぼろげに見えてきていた。

それは一言で言うと、
「居場所と仲間を感じるあたたかいコミュニティ」。

・ 夢中になれる「活動」があって、
・ 自分のことを認めてくれる「居場所」があり、
・ 一緒に過ごす気の合う「仲間」がいれば、
個人の人生は相当幸せになるような気がする。

大学4年間の夢中になった経験から自然とそのような着想を持つようになり、
ここでほぼ私の人生は決まったと言っても良いだろう(笑)。

就職活動はどこの会社に行っても「コミュニティをつくりたい」と熱く語り、
ついに26歳で独立をして、今に至る。

■自殺者3万人
■うつ病患者100万人
■児童虐待相談件数5万件
■孤独死3万人

日本社会が直面している多くの社会課題の根本には「つながりの希薄化」や
「コミュニティの弱体化」や、それによる「孤立・孤独・無縁」があると思う。

解決策の方向性ややり方はいろいろあると思うけれども、我々はコミュニティ
づくりを通して、「人と人のつながりがある社会」「コミュニティが豊か・
溢れている社会」「共助・相互扶助・支え合いのある社会」をつくっていきたい
と思います。

それは現代日本の多くの社会課題を解決することになるだろうし、きっと個人の
幸福度の高い社会(GNHの高い国?)になるだろうと確信するからです。

(代表 呉哲煥)

*****************************

☆コミュニティ運営支援ツール「コミュ助」絶賛販売中☆
コミュニティ運営に良い変化を起こすお助けツールです!
http://www.crfactory.com/tool/

☆無料!メールセミナー「7日間!コミュニティリーダーへの道」☆
コミュニティ運営に欠かせない 7つの重要ポイントを7日間でメールでお届け!
http://www.crfactory.com/mailseminar.php

*****************************

シェアする

フォローする