コラム「新たな”コミュ活”を始めることは、新たな”私”に出会うこと」

――人ってそんなに単純な生き物ではない。
“コミュ活”(職場でも家庭でもないサードプレイス、コミュニティで活動すること)について考える時、そんなことをいつも思います。

日常ではふと気づくと、会社や学校といったモノカルチャーに没入してしまうことも珍しくありませんが、そこだけで充足・簡潔できるほど、人の考え方や感じ方は一枚岩ではないと思うのです。
人間、だいたい二十年以上も生きていろいろな経験もすれば、多様な側面を自分の中に持ちますし、常にその全てを表に出して暮らしていることの方が少ないという気がします。
家族、友人、同僚や上司、クライアント・・・相手によって、見せる顔は少しずつ違います。

多かれ少なかれ、人は多面的な生き物。
“コミュ活”には、多面性を表現できる、普段は出せない自分を出せる、気づいていなかった自分の側面を発見する、そんな効果があります。
私も前職時代はいくつも掛け持ちして、テーマも地域も仲間も様々に日々”コミュ活”していました。
特に、新しいワクワクするようなことに出会う時、”自分はこんなことをオモシロイと思える感性も持っていたのか!”と、とても新鮮な、嬉しい驚きがありました。
その出会いを逃さずに、自分からどんどん飛び込んでいって手足と頭を動かしていると、自分自身が拡張されていくような成長の喜びを感じることができます(もちろん、今でも)。

単一の価値観に押し込められない、自分自身がしっくりくる多面性を表現できている状態は、日々をとても充実したものにさせてくれます。
そして、”コミュ活”ならではの多様な関わり方、多様な人との出会いによる経験がさらに、”私”の新たな自分らしさに気づかせてくれるのでしょう。

(事業局長 五井渕 利明)

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